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Interior Planning をしている かるろす が Jazz Liveに行ったとか、日々のなにかあった時、何か感じたときに綴っています。
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2014年2月15日、朝日新聞デジタルに掲載されたインタビュー記事です。
結構長いですがあちこちのブログで観てますので、わたくしも掲載します。 (インタビュー 今こそ政治を話そう)二分法の世界観 是枝裕和氏 (聞き手 論説委員・高橋純子) 「いまの自民党は保守じゃない。ナショナリスト集団です。その違いをはっきり認識しないと」 世界はね、目に見えるものだけでできているんじゃないんだよ――。「そして父になる」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど世界的評価の高い映画監督・是枝裕和さんが脚本を手がけたテレビドラマのセリフだ。敵か味方か。勝ちか負けか。二分法的世界観が幅を利かせるこの日本社会を是枝さんはどう見ているのか、聞いた。 ――昨年12月に発足した「特定秘密保護法案に反対する映画人の会」に賛同されていましたね。 「ひとりの社会人として、責任がありますから」 ――政治的な「色」がつくという懸念はなかったですか。 「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会をつくりたいからです。だから国家や国家主義者たちが私たちの多様性を抑圧しようとせり出してきた時には反対の声をあげる。当然です。これはイデオロギーではありません」 ――ならば、日本政治や社会を告発するようなドキュメンタリーを撮ろうとは考えませんか。世界的に名高い是枝さんの手になれば、社会の空気を変えられるかもしれません。 「たとえば『華氏(かし)911』でマイケル・ムーアが表明したブッシュ政権への怒りの切実さが、多くの人の心を揺さぶったのは間違いない。だけど豊かなドキュメンタリーというのは本来、見た人間の思考を成熟させていくものです。告発型のドキュメンタリーを見ると確かに留飲が下がるし、怒りを喚起できるし、それによって社会の風向きを変えることもあるかもしれない。でもそのこと自体を目的にしたら、本質からずれていく気がします」 「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと。ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです。詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の内部にではなく世界の側にある。それと出会う手段がドキュメンタリーです。ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません」 ――じゃあ何ですか。 「プロパガンダです。水俣病を撮り続け、海外でも高く評価された土本典昭さんは『不知火海』という作品で、補償金をもらって陸に上がった漁師が、品のない家を建てて金ぴかの調度品で部屋を飾っている様子も撮っています。そのような、水俣病を告発するというプロパガンダからはみ出した部分こそがドキュメンタリーの神髄です。人間の豊かさや複雑さに届いている表現だからこそ、人の思考を深め、結果的に社会を変えられるのだと思います」 「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません」 ■ ■ ――この浅はかさ。何でしょう。 「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『2人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと。外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がった国民的ヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています」 「例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければならないはずです。そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が払われているわけでしょ? それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決とは違います」 「政治家の『本音』がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいてもひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう。『表現の自由』はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに保障するものです。そのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです」 ――しかし政治に限らず、「勝たなきゃ終わり」という価値観が世間では幅を利かせています。 「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。でもこの二つしかないのなら、僕は価値のある負けを選びます。そういう人間もいることを示すのが僕の役割です。武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。『4割』に対する想像力を涵養(かんよう)するのが、映画や小説じゃないかな。僕はそう思って仕事しています」 「ただ、同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんなに楽なリアクションはありません。何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると思います」 ■ ■ 「昨年公開した『そして父になる』の上映会では、観客から『ラストで彼らはどういう選択をしたのですか?』という質問が多く出ます。はっきりと言葉では説明せずにラストシーンを描いているから、みんなもやもやしているんですね。表では描かれていない部分を自分で想像し、あの家族たちのこれからを考えるよりも、監督と『答え合わせ』してすっきりしたいんでしょう。よしあしは別にして、海外ではない反応です。同じく日本の記者や批評家はよく『この映画に込めたメッセージはなんですか』と聞きますが、これも海外ではほとんどありません」 ――そうなんですか。 「聞かれないどころか、ロシア人の記者に『君は気づいてないかもしれないが、君は遺(のこ)された人々、棄(す)てられた人々を描いている。それが君の本質だ』って言われたことがあります。で、確かにそうだった。ずっと『棄民』の話を撮りたいと思っていたから。すばらしいでしょ。翻って日本では多数派の意見がなんとなく正解とみなされるし、星の数が多い方が見る価値の高い映画だということになってしまう。『浅はかさ』の原因はひとつではありません。それぞれの立場の人が自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ『深く』していくしかありません」 ■ ■ ――「棄民」を撮るんですか。 「ブラジルの日系移民の話をいつか劇映画でやりたいと思っています。彼らは国に棄てられた『棄民』ですが、第2次世界大戦が始まるとむしろ日本人として純化していく。情報遮断状態におかれた移民たちは日本の敗戦を知らず、うわさを聞いても信じない。そして負けたと主張する仲間を『非国民だ』と殺してしまう。似ていませんか? いまの日本に。国に棄てられた被害者が加害の側に回る、そこに何があったのかを描いてみたいんです」 「精神科医の野田正彰さんは、加害の歴史も含めて文化だから、次世代にちゃんと受け渡していかなければならないと指摘しています。その通りです。どんな国の歴史にも暗部はある。いま生きている人間は、それを引き受けないといけません。だけど多くの人は引き受けずに、忘れる。東京電力福島第一原発事故もそうでしょう。『アンダーコントロール』だ、東京五輪だって浮かれ始めている。どうかしていますよ」 「いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか。映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に批判しました。木下を尊敬するがゆえに、被害者意識を核にして作られた映画と、それに涙する『善良』な日本人を嫌悪したのです。戦争は島の外からやってくるのか? 違うだろうと。戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています」 #
by saimonEX
| 2015-02-23 15:48
| 日々の事
今回のアベ政権の暴挙に対して、宗教家として黙っていられないと、
多方面からの反対声明が出ています。 真宗大谷派宗務総長が、集団的自衛権容認閣議決定に対して、 反対声明とコメントを出しました。ここに全文を掲載させて貰います。 《 記事の出所:http://www.higashihonganji.or.jp/news/important-info/6333/ 》 安倍晋三内閣による集団的自衛権行使容認に対する反対声明 安倍晋三内閣総理大臣は、このたび、十分な国民的議論もないまま、集団的自衛権 行使容認を閣議決定されました。これは、防衛の名のもとに、戦争の可能性を開くも のであり、このような改憲に等しい重大事が、恣意的な解釈変更によって決定された ことに、強く反対の意を表明します。 私たちは、「日本国憲法」を、悲惨な戦争を背景に生まれた、非戦に向けた日本国民 の誓いであるとともに、国際社会に恒久平和を呼びかける願いの象徴であると受けと めています。集団的自衛権行使容認は、戦争放棄を誓い、願い続けてきた日本国の姿 勢を大きく変更するものであり、決して容認することはできません。 安倍内閣総理大臣におかれては、仏陀(覚者)の金言、「殺してはならぬ、殺さしめ てはならぬ」(『法句経』)という言葉に耳をかたむけ、熟慮いただき、今回の閣議決定 を即時撤回されるよう強く求めます。 2014年7月1日 真宗大谷派 宗務総長 里 雄 康 意 安倍晋三内閣による集団的自衛権行使容認に対する反対声明に係る宗務総長コメント 今回、安倍晋三内閣は、集団的自衛権行使容認を閣議決定しました。この重大問題 を抱える「現代」に生きる私たちは、今こそ仏法僧の三宝に帰依する「仏教徒」とし て、この問題から目をそらすことなく、正見に依って的確に受けとめ、言動する使命 と責任があるのではないかと思います。 仏教では、「国豊民安兵戈無用」という教言に象徴されるとおり、仏の教えが生き てはたらくところにこそ、ほんとうに豊かで、戦争の無い世界が開かれると教えられ ます。それは、『仏説無量寿経』において教示される如来の本願に、どこまでも照らし 出され、呼びかけられ続ける「われら」の問題であり、この私たちに、真に「われら」 といえる世界が如何に成り立つのかという課題であります。 親鸞聖人が顕かにされた浄土真宗の教えは、自己関心に執着してみずからの愚かさ に気づくことのできない私たちに、如来の本願に基づいて、人と生まれた意義を教え、 丁寧な人間関係を開いてくださるものです。自らの正義に酔いしれ人間の関係と存在 そのものを破壊する戦争をも正義の名の下に容認する。このような自分を善とし他を 悪とする愚かな在り方に、目覚めなければならないと教えてくださるものこそ、南無 阿弥陀仏であります。 こんにちの日本政府の判断はまさしく国民の危機であり、私たち一人ひとりが、み ずからの課題として受けとめるべきものです。この問題のなかにこそ、私たちは、自 他一如を説く仏の教えを聞き開かなければなりません。あらためて、一人ひとりが、 今、浄土から、どのように呼びかけられているのか。何を教えられ、うながされてい るのかを、それぞれの生活の現場で語り合い、共に「同朋社会の顕現」に尽くしてま いりたく存じます。 2014年7月1日 真宗大谷派 宗務総長 里 雄 康 意 #
by saimonEX
| 2014-07-04 10:14
| 日々の事
うさんくさいに賛同!
6月16日東京新聞の夕刊に掲載された吉見俊哉氏の寄稿。 この翻訳の元は「right of collective self-defense」。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。そして、この行使には次の制約がある。 『第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。』 だそうだ。意味解るかね?集団的自衛権行使とは、単純に戦争そのものなんだ。 それを今のアベはやりたくて仕様がない訳で、テメーは永田町でTV画面見ながら、さながらゲームでもしてる様にああせいこうせい言って、たっぷり金を使って、その上前をはねようってな魂胆な訳だ。 国民、特に若い連中よ、気がつかないうちに、永田町のゲームボードに貼り付けられたイラストみたいに、消されても命令してる連中は痛くも痒くもなく、テメーの財布だけはしっかり膨れる。って仕掛けなんだって事、理解して旗ふれよ。 #
by saimonEX
| 2014-06-18 23:25
| 日々の事
今日1月21日の東京新聞朝刊「秘密保護法『言わねばならないこと』社会学者田仲 康博氏」
あの暮も近い時、政府与党が無理矢理に特定秘密保護法を成立させたのは、「沖縄への恫喝では」とそして、「沖縄には、実は米軍基地よりも多く自衛隊基地がある。辺野古に造りたがっているのは米軍なのか、日本政府なのか。いずれ米軍が去った後も、辺野古の基地は国軍の基地として県民の脅威であり続けるのではないか。」と書いている。 《記事全文》 沖縄の基地問題との関係から見ると、なぜこの時期に特定秘密保護法を成立させたのか。早速、昨年末に仲井真弘多(なかいまひろかず)知事が普天間飛行場を移設するため名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認し、県内移設容認に寝返った。沖縄から見ると「もうこれ以上、基地問題について何も調べるな」という恫喝(どうかつ)に見える。 基地問題で、東京のマスコミが使う「移設」という言葉自体がまやかし。県民が求めているのは普天間の「撤去」。「移設」と言った瞬間に、どこかに移す場所を設けなくてはならないという論理になる。 他方、尖閣諸島問題で、「沖縄県の」と強調されるようになった。沖縄が危ないと刷り込まれ、多くの国民はやはり沖縄に基地がなくては、と思ってしまう。政府のメディア戦略もシナリオ通りに推移している印象で、集団的自衛権の行使容認、憲法九条改正へと進み、自衛隊が国軍化されることが最も恐ろしい。 基地問題の根幹は、日本政府がどう考えているか。沖縄には、実は米軍基地よりも多く自衛隊基地がある。辺野古に造りたがっているのは米軍なのか、日本政府なのか。いずれ米軍が去った後も、辺野古の基地は国軍の基地として県民の脅威であり続けるのではないか。この法律が問題なのは、こうした疑念について自由に発言できなくなること。秘密にアクセスすれば未遂でも、教唆でも罰せられる。さらに恐ろしいのは、その種の「危険な」情報にアクセスしなくなること。そして、そのことに疑問すら起きなくなること。 アルジェリア独立運動を主導した思想家フランツ・ファノンは「無知とはモノを知らないことではない。疑問を発せられない状況のことだ」と言っている。そんな無知な大衆をこの法律は目指している。 たなか・やすひろ 1954年、沖縄県生まれ。国際基督教大上級准教授。社会学の視点から沖縄の諸問題に取り組む。 偶然かもしれないが、上記の記事の下にある筆洗でも、「疑問を持つことの大切さ」を全く違う視点でで書いている。 《記事全文》 小鳥に声をかけてみた/小鳥は不思議そうに首をかしげた。/わからないから/わからないと/素直にかしげた/あれは/自然な、首のひねり/てらわない美しい疑問符のかたち…▼吉野弘さんの詩「素直な疑問符」だ。首をかしげた小鳥の姿に、美しい「?」を見て取る。そんな目の持ち主にかかると、「母」という字のちょっと傾いた姿からも小さな物語が生まれる▼<母は/舟の一族だろうか。/こころもち傾いているのは/どんな荷物を/積みすぎているせいか>。舟とは、母という字の下の方が愛の積み荷が多過ぎて水に浸っている形。詩人にはそう見えたという▼吉野さんは二度、生死の境から生き延びた。召集され、死を覚悟して入営する数日前に終戦を迎えた。戦後は肺結核と闘った。「二度も助かったから、生きなくては申し訳ない」。だから、日々の暮らしの中で生の意味をていねいに問い、やさしく言葉を紡いだ▼例えば、「幸」と「辛」という字は「一」だけの違い。その「一」とは何か。<幸いの中の人知れぬ辛(つら)さ/そして時に/辛さを忘れてもいる幸い。/何が満たされて幸いになり/何が足らなくて辛いのか>▼八十七歳で逝くまで、「?」を大切にし続けたのだろう。冒頭の詩はこう結ばれる。<時に/風の如(ごと)く/耳もとで鳴る/意味不明な訪れに/私もまた/素直にかしぐ、小鳥の首でありたい> #
by Saimonex
| 2014-01-21 17:56
| 日々の事
昨日の朝起きたら、ちょっと咳が出る。風邪らしい風邪をひいたのは15年くらいぶり。昨日夕方仕事場に戻ったら、熱が38度ほどになってたが、そんなこと20年ぶりくらいか。
やはり、歳なんだなあ。それで、昨夜は、お粥だけ食べて、7時過ぎに寝た。相変わらず、薬は飲まない、自分の治癒力を信じて。 夜に2度ほど起きて、シャツを取替えたた。そして迎えた今朝にはほぼ平熱。昼に、消防検査立会に出かける前に計ったら、完全平熱。数日おとなしくして様子を見れば良いかな。 #
by saimonex
| 2014-01-21 12:59
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